もしも核戦争が起きたら─?カナダの地下巨大核シェルター「ディーフェンバンカー」は核の恐怖が生々しい施設だった。

更新 | 2017-09-09公開

もし戦争が起きて、核ミサイルが落ちたら。

北朝鮮が保持している核爆弾は、広島長崎に落とされたものより3倍の威力があるとも言われており、爆心地から半径14kmは一般家屋は倒壊するそうです。万一の時は、一体どこに逃げたらいいのか──。

カナダには、核戦争を見据えた巨大地下核シェルターが作られていました。それは、長年、国のトップシークレットとして隠されてきた「Diefenbunker(ディーフェンバンカー)」と呼ばれる施設です。

Diefenbunker(ディーフェンバンカー)とは?

ディーフェンバンカーとは、カナダの首都オタワ近郊に、1959年から62年にかけて建設された巨大な地下核シェルターです。

でも、アメリカではなく、なぜカナダにも核シェルターなのか──?

1945年から1989年まで続いたアメリカと旧ソビエト連邦、そして、その同盟国を交えた対立。それは「冷戦」とは呼ばれながらも、核戦争の危機が一歩寸前のところまで差し迫ったものでした。

カナダも核兵器を保持していたこと、NATO加盟国だったこと、そして、アメリカとの連合防衛組織であるNARDO(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)にも加盟していたこと。このような理由から、ソ連の核攻撃のターゲットとなる可能性が高まっていました。

ソ連による核攻撃の脅威に対して作られたのが、このディーフェンバンカーでした。ちなみに、ディーフェンバンカーとは、当時のカナダ首相の名前に由来しています。

政府や軍の要人のみ!極秘核シェルター

ディーフェンバンカーは、核シェルターとしてはかなり大きな設備で、地下4階建て、最大535名も収容可能でした。

また、核爆弾の場合、爆発そのものの衝撃だけでなく、その後の放射能汚染からも身を守る必要があります。そのため、外界と閉ざされた状態でも、30日間過ごせることを想定して作られています。

ただし、この核シェルターは、一般市民用ではなく、政府要人や軍人用。

当時は国の超機密情報、トップシークレットとして建設され、いざ戦争となっても、友人や家族を呼び込むことが出来なかったそうです。それは、例え、首相であっても、です。

国のトップシークレットとして存在していたディーフェンバンカーですが、冷戦終了後、1994年に核シェルターとしての機能を終えます。そして、国定史跡にも指定され、1998年からは冷戦博物館(Cold War Museum)として一般開放されるようになりました。

でも、つい20年ほど前まで、このように市民に隠された大型核シェルターが存在していたというのは驚きですね。

公開された核シェルター内部

現在はミュージアムとして、一般公開されているディーフェンバンカー。その内部は、一般的なミュージアムとは全く異なり、核戦争の恐ろしさを生々しく感じられる施設となっています。

実際に内部を見ていきましょう。

一見、ただの倉庫のように見えるこの施設。これがディーフェンバンカーへの入り口です。

核爆弾の直撃、そして、人目を避けるために、首都オタワから車で30分ほど走った郊外に建設されているため、この通り、周辺は野山が広がる田舎町です。外見からは決して国の超機密施設だったとは思えませんね。

 

ドアを開けると、目を引くのが核爆弾MK-4(マーク4)。カナダが所有していた核兵器で、このMK-4は種類によっては、長崎に落とされた爆爆弾と同じか、2倍程度の威力をもっているそう。

ちなみに・・・、これと同じ核爆弾MK-4が、カナダ西海岸の海中で行方不明になったままです。

1950年にMK-4を搭載していた米軍爆撃機が事故に合い、海上投棄したそうです。爆撃機の残骸自体は見つかったものの、核爆弾そのものは行方不明のまま。ウランは搭載されているものの、プルトニウムが搭載されていないため、爆発はしないと言われていますが、、、とても怖いですよね。→参考情報:CNN「海底で発見の物体、「失われた原爆」ではなかった カナダ

 

いよいよ、内部に入っていきます。まず、最初に現れるのが、この長いトンネル。トンネルの途中には横穴が用意されており、そこから核シェルターに入れるようになっています。

このような作りになっているのは、爆弾が落ちた時の衝撃波がトンネルを通り抜けるように。核爆弾の場合、衝撃波には放射性物質が混じっているため、シェルター内に放射性物質が入り込みにくくなるそうです。

 

画像元:YouTube

トンネルの横穴を抜けると、約2トンもある分厚い鉄製のドアが出迎えます。この先がいよいよ核シェルター内部です。

 

シェルターに入ると、まず2つのシャワールームを通り抜けます。

なぜ入っていきなりシャワールームなのか?──それは、体に付着した放射性物質を洗い流すため。

一つ目のシャワールームで、着用していた服を全て脱ぎ、体に付着した放射性物質を洗い流します。そして2つ目のシャワールームでは、ガイガーカウンターを使って放射線量を計測し、シェルター内部に入って良いかチェックされます。

核爆弾が落ちた後の放射能汚染──、その恐ろしさをリアルに感じます。

 

シェルター内部には様々な部屋が用意されていますが、まず入り口付近に用意されているのが、医療室です。医療室は周囲よりも気圧が下げられており、医療室から核シェルター全体へのウィルス拡散が避けられる作りになっています。

 

部屋自体は小さいのですが、医療器具は非常に充実していて、手術も可能だったというので、驚きます。

 

また、歯科治療の設備も用意されているから、これまた驚き。クリーニングだけでなく、虫歯治療や抜歯などの本格的な治療も可能だったそうです。

 

これはシェルター内部の通路。巨大な地下施設を支えるため、通路にはいくつもの大きな柱が。人がぶつからないようにか、柱は全て白黒ストライプでペイントされていました。もちろん窓もなく、埃っぽさもあり、シェルター全体、重い雰囲気が漂っています。

 

ここは、カナダに潜入したソビエト連邦のスパイに関する情報が掲示された部屋です。この顔を隠した人物にギョッとしますよね。

彼は、イーゴリ・グーゼンコ(Igor Gouzenko)というロシア人で、元々はオタワにあったソ連大使館で働いていたものの、ソ連の弾圧政治に反発し、カナダに亡命した人物です。

彼が持ち込んだソ連政府の機密文章をきっかけに、ソ連の暗号通信解読の鍵や、カナダやアメリカの政府高官に、ソ連のスパイが潜入していることなどが明らかになりました。

これにより東西諸国はさらに対立が悪化。カナダの情勢も大きく変わり、ますます核戦争の可能性が高まりました。

グーセンコは、ソ連による暗殺を避けるため、テレビなどに出演した際などは、常にこのような覆面姿だったそうです。

 

またまたギョッとする部屋がありました。

こちらは、ディーフェンバンカーの緊急用避難口。避難口と言っても、約9メートルの高さがある細長い垂直トンネルです。

ひとたび核爆弾が落とされると、外部は放射性物質で汚染された世界。外部からの放射能を遮るため、この避難口は15トンもの小石で埋められています。また、外部に出る際には、このような完全装備が必要となります。

このような対策からも核戦争の恐怖を実感しますね・・。

 

535人を30日間も収容できる施設なので、大きな食堂もありました。一度に200人が食事をとることが出来る大きさで、隅にはレクリエーションコーナーも。

食堂という、非常時でもホッとできるはずの場所なはずですが、見学者にとってはむしろ核シェルターでの生活がより生々しく感じられ、居心地の良い場所ではありませんでした。

 

地下4階の一番深い場所は食品の冷凍室、そして食品庫となっていました。

シェルター運用中は、常に535名分のフレッシュフードが備蓄されていたそうです。ただし、フレッシュフードの提供は1週間分のみ。それ以降は缶詰などのレトルト食品が配給されます。例え首相であっても、同じ物・同じ量の配給となるそうです。

ちなみに、この冷凍室、保存する予定だったのは食品だけではありません。戦時下には、死体安置所としても使用することが想定されていたそうです。放射能汚染を避けて、シェルターは完全閉鎖されるため、死体を外に破棄することさえ出来ないからです。

食品を保存しつつ、死体もその横に保存する、──戦時下の異様な光景が浮かび、身の毛がよだちます・・

 

食品庫を出て長い通路を抜けると、重さ30トンもあるという分厚い扉のある部屋に出ます。ここは、戦争勃発時にカナダが保有していた金の隠し場所として用意された金庫。

800トンものゴールドバーを収納することを想定していたそうですが、建設してから一度もこの場所が本来の目的で使用されたことはありません。それも戦争が起こらなかったからこそ。喜ばしいことですね。

 

金庫の中も見学可能です。この通り、イルミネーションが施され、美しいのですが・・・

『もしあの扉が閉まったら?!』

そんな恐怖に駆られ、決して長くはいられませんでした。閉所恐怖症の方は尚のこと不安かもしれません。

 

ここは政府や軍の警告を制御していた部屋。カナダが攻撃を受け、国中のサイレンや緊急用放送システムなどを作動させる時は、ここから命令していたそう。実際に指令室が配備され、使われていた部屋とのこと。

 

ここは戦時閣議室。戦争中はここで重要な閣議決定が行われます。

 

戦時閣議室の隣りは政府事務局です。部屋の壁には地図が張られており、首都オタワに核爆弾が落とされた場合、放射性物質がどのように流れるかが予測されていました。

 

ディーフェンバンカーに求められた最重要機能の一つが、外部との情報通信。

OSAXと呼ばれたこの部屋は、4800台ものコンピューターが設置された情報制御室です。ただし、この部屋全てのコンピューターを合わせても、初期iPhoneのスペックにも満たないそうです。

この部屋は四方が金属の壁で囲まれており、部屋の特殊ドアを閉めると、光ファイバー接続の通信以外の通信は全てシャットアウトされ、通信傍受できない仕組みになっています。

 

核シェルター内部には、カナダの公共放送であるCBCの緊急放送用スタジオも。ここからテレビ放送やラジオ放送が可能だったそうです。きっとその放送内容は、戦況や戦意高揚するような内容ばかりになるのでしょうね・・

 

ディーフェンバンカーは、核シェルターです。核からの避難、そして戦時下の通信ハブとしての機能が最重要視されているため、それ以外の設備はとても簡素。

しかし、唯一、立派なイスと机が置かれた部屋がありました。

それは、カナダ首相の部屋、首相官邸執務室です。

 

執務室の隣りにはトイレ・シャワー付きのベッドルームも併設されています。しかし、いくら首相の部屋とは言え、ベッドルームはやはり非常に簡素な作りになっています。

 

このシェルターの名前にもなっている、建設当時の首相ジョン・ディーフェンバンカー。彼は、例え緊急事態が予想されようとも、一度もこの核シェルターに訪れることはなかったそう。それは、例え首相であっても、家族を連れて来ることが許されず、最愛の妻を置き去りに出来なかったからだと言われています。

実際にこの施設を訪れたカナダ首相は、ピエールトルドー首相のみ。現在のジャスティントルドー首相の父親ですね。1977年のコンピューターのアップグレードを行う際に施設を見学したそうです。

 

最後に、こちらの画像でおしまい。

現在は冷戦博物館として一般公開されている施設ですが、それだけでなく、バースデーパーティーとしても解放していたり、イースターやハロウィンなどの子供用のイベントも色々行われています。

様々な核対策や、閉塞感のある施設内部は、まるで戦時下のような雰囲気ですが、こんなイベント案内を見ると、今は平和な世界なんだと改めて感じます。

おわりに

以上、核シェルター・ディーフェンバンカーの主だった施設をご紹介しました。

さすがにアメリカには規模も数も全く及びませんが、カナダにもここまで設備の整った核シェルターが用意されていたことに驚きます。それも、冷戦時代はいつ核戦争が勃発してもおかしくない緊張がカナダにもあったからこそ。

国のトップシークレットだった核シェルターが、現在は国定史跡となり、一般公開されるということは、それだけ時代が平和になったと言うことですね。この施設を訪れることで、核の恐ろしさを肌で感じ、今の平和な世界に感謝したくなりました。(まぁ、今も別の極秘巨大シェルターがあるのかも?しれませんが。。。)

ただ、現在でも北朝鮮の脅威は続いています。

決してあってはならないことですが、このような核シェルターからも、地下に逃げ込むことや、シャワーを浴びること、食料の保存、ラジオなどの通信機器の確保など、万一の時の避難のヒントも得られることも多いな・・、なんて思ってしまいます。考えるとやっぱり怖いですが。

 

このディーフェンバンカーに興味がある方は、ぜひ一度訪れてみてくださいね。そして、この重々しく、生々しい核戦争の恐怖を感じてみてください。

 

カナダ冷戦博物館(Canada Cold War Museum)

  • 公式HP:http://diefenbunker.ca/
  • 住所:3929 Carp Rd, Carp, ON K0A 1L0
  • 電話:(613) 839-0007
  • 時間:月~日 11:00-16:00
  • 料金:大人14ドル、シニア13ドル、学生10ドル、子供8ドル
  • 駐車場:無料

※内部の見学は、自分で勝手に見学できるセルフガイドツアーと、ガイド付きのツアーがあります。ガイド付きツアーは事前予約がおすすめ。

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